「 壊そうとする神経を疑う理想的な“学び舎”の存在 」
『週刊ダイヤモンド』 2003年1月25日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 478回
町長らが取り壊そうとしたのを、卒業生らが中心になって反対運動を展開し、ようやく取壊しを逸れた滋賀県豊郷(とよさと)小学校の概要を見た。
ひと目で、この小学校が好きになった。中仙道に沿った小さな町にある豊郷小学校は、1937(昭和12)年以来の歴史を温かく静かに伝えている。
構造は鉄筋コンクリートながら、内装は子どもたちの心を和らげ、安心できる雰囲気をつくるために、肌触りも優しい木材で仕上げてある。
木の階段と木の手摺、その手摺にはウサギとカメがいる。一段目の手摺にはウサギとカメが並び、幾段か上ったあたりに別のカメ、さらに先の階段あたりにも、もう一匹のカメが歩いている。子どもたちが聞かされて育った童話の世界を、こんなところで楽しくかたちにして見せているのだ。
この階段を上り下りするだけで、豊郷小学校で学んだ子どもたちの胸には、学び舎(や)への、えも言われぬ愛(いと)しみが芽生えたことだろう。
廊下は広く、しっかりした木の床だ。教室と廊下には段差がなく、天井は高い。大きく取られた窓枠も、みな木製である。そして講堂のすばらしさ。座席もステージも、壇上の大きなテーブルも同じ材質の木でつくられ、落ち着いた雰囲気を醸し出している。細く長く天井近くまで切られた窓からは、明るい陽光が差し込んでいる。これが小学校の講堂か、どこかのコンサートホールではないかと錯覚しそうだ。
さらに嬉しいのがアールデコ調の洒落たつくりの図書館だ。こんな空間で本を読んだり宿題に取り組んだ子どもは、どれほど知的想像の世界を駆け巡ったことだろう。幸せな子どもたちだ。
この小学校には、子どもたちに全人格的な教育を施そうというしっかりしたおとなの哲学がある。建物の正面右手には実習農場を設け、土に親しむこと、生物を育てることを教えてきた。人間は森羅万象のなかで生かされていると、子どものころから学べるとは、これまたなんと幸福なことだろうか。
校舎裏手には、体育館に加え、プール、テニスコート、バレーコート、バスケットコート、直線で100メートルトラックまである。教育は、机に座っての勉強に加えて、大いに体を鍛え、土に親しむことでもあるとの考えがよく表現されている。しかも、校舎は温水暖房装置や、一部ながら水洗トイレも備わり、戦前の小学校としては目を見張る破格のつくりである。完成当時、東洋一の小学校と評された。
近代的でありながら、近代的なるものに付きものの浅薄さや華美もなく、落ち着いた愛に満ちたこの小学校は、地元出身の古川鉄治郎氏が私財を投じて寄贈したものだ。氏は当時、伊藤忠兵衛商店、現在の丸紅の専務だった。
古川鉄治郎という地元の名士の故郷への愛や、教育を通して、故郷を興し、日本を興していこうという心意気をも体現しているのが、豊郷小学校である。設計はW・ヴォーリズ氏で、これまで同氏の設計で、多くの病院や学校が建てられているという。
故郷を愛する気持ちを持つ人なら、この建物は、なんとしてでも保存しようとするだろう。人の愛や思いやりを少しでも理解できる人なら、この小学校をこの世に出現させた人の心が、いかに貴く、深い愛に満ちていたものであったかが分かるはずだ。その小学校が、すでに幾千幾万の子どもたちを育み、彼らの心のなかの故郷の、かけがえのない一部となっていることに、思いを致すはずだ。
こんなにすばらしい小学校の窓ガラスを割る業者の姿が、ニュースで報じられた。なんと町長の指示だと業者は語っていた。住民の宝物にも似たこの学び舎を無残に取り壊そうとする町長など、私が町民なら、地の果てに消えてほしいと思うだろう。 (この項続く)